私は誘拐犯?

飛び蹴りのヒロコも家から出て行き、
私は弟子の寿司屋で働く日々が続いた。
歳は40才を超え人生の半分を超えた時点で、
私は本当の独りぼっちになってしまった。

こんな思ってもいなかったストーリーに私は戸惑いを感じた。
酒浸りの人間にみんなが愛想をつかし遠ざかって行き、
私は初めての孤独さを実感した。
周りに女性が居なかったのも初めての体験だった。
云い知れない孤独感が私を包んでいた。
そんな中で思う事は唯一残ったあの子供の事だけだった。
逢いたい、逢いたいと思うしかなかった。

そして我慢できなくなった私は、店に休暇けを出し
子供が帰る通学に一人たたずんでいた。

小学校と家は5分もかからない処にある。
子供は私を見つけるなり、
『とおちゃんだ〜』
と云ってんで来た。

あの事件以来、1年以上も逢っていなかったが
子供はよろこんでってくれた。
久しぶりの対面に大きくなった我が子を抱上げた。
くなっていた、そして何処かに行こうかと私は聞いていた。

でも子供反応がイマイチ良くないのをすぐ感じ取ったが、
たぶん、母さんを気遣っての反応だったと思う。
子供
敏感にその場の空気が読んでいたようである。

すぐには『 うん 』と云ってくれなかったが何とか誘う事はできた。
親子であっても、これって誘拐? 
そんな事など私は一瞬たりとも思もわなかった。
あちこち連れ回し私は遊んだ。
しかし時間がつにつれ、だんだん別れるのをしく感じ始め
もう少し一緒にりたい気持ちでいっぱいになった。
そして私は高速船で叔母ちゃんのいる徳島へ行こうと決めた。

当然、元嫁に連絡出来るわけがない。
やはりこうなったら〜誘拐? ですねぇ。

子供も私と遊んでいるのが楽しかったのか、
母さんの事など忘れてかけていた。

プールのあるいと云い出し、
私は徳島の兄貴に電話し、プール付きのホテルを手配をしてもらった。

徳島にいた頃には、もうすっかり夜になりかけていた。
ホテルでバーベキューを食べ、
二人してプールで長い間遊んだ。
深いプールにも怖がらず一生懸命泳いでいた。
本当に楽しいひとときだった。
すると叔母ちゃんから電話がかった。
そこで元嫁の家が大ぎになっている事を私は知った。

子供が帰って来ない事で大変な騒ぎになっていた。
そして私が連れ出した事を察知したらしく、
唯一の肉親の叔母ちゃんに連絡が入った。

叔母ちゃんも私がまた事件を起こすのを恐れ、
探し回った末、ホテルを見つけた。
もし叔母ちゃんから連絡がなければ、
私は誘拐犯になっていたかも知れない。

元嫁は捜査いを出し誘拐されたと警察に連絡する剣幕だったです。
私は叔母ちゃんにずいぶんられてしまったが、
叔母ちゃんは私をかばい上手に元嫁をなだめてくれた

これで私は誘拐にならずにんだが覚悟は出来ていた。

でも叔母ちゃんのおで私はゆっくりその日を子供と過ごす事ができた。

帰る日も朝からまたプールへ行きたいと云ったので、
丸亀の温水プールを探し、二人でいだ。

この思い出は私の心の中に一生残る事になるだろう。
今度また逢える事が出来ても、子供も大きくなっており
今の楽しさはこれで終わりだと思え、
この思い出をしっかり胸に焼きつけた。

奈良に帰った頃には夕方になっていた、
すぐ家に送って行かなければならず、
これが子供最期の別れとなってしまった。
覚悟はしていたものの、本当にいかった。

今後、同様の事をした時には裁判所にえると
元嫁は叔母ちゃんに云ったと聞かされた。

その14・5年後、
私は子供に再会できたがこの子はすっかり変わっていた。

素直だったあの子は、嘘ばかりつく人間になってしまった。
環境がこの子を変えてしまったのか、その間の事は私には分らないが
この子は変わってしまった。

でも元嫁を責める資格は私にはない。
ただ子供には悪かったと謝るしかないでしょう。

この子はその後、詐欺まがいな事を繰り返し、
現在服役中の前科二犯です。

初犯の時は私が身元引受人になり、
2年間見守ってきたがその甲斐もなく又、罪を犯した。

あの小児がんの時、亡くなっていた方がこの子の為にも
良かったのかも知れないと思った事は何度かあった。
思ってはいけない事かも知れないが
思ったのは確かでした。

私は、やっぱり父親としても失格ですよね〜

つづく