四十九日の意味

彼の死から明日で7週間が経過しようとしていた。

その間、私は今までにない色々な体験を又させてもらった。

これ以上波瀾万丈な人生などないと思っていた小生、

しかしまだこんな試練があるのかと痛感した。

今回、何度も心が滅入りそうになったが周りの人のお陰で乗り越えられた。

そして四十九日の最終日を迎えたその夜、

私はたいへん不思議な体験をした。


この一か月間、私は彼の死で色んな人と知り合う事になった。

彼が激愛していた倖田來未、そのファンクラブの方々や

一見、やんちゃ相に見えるTATOOを入れた娘、

そんな人達と初めて交流をも持てた。

そして今でもLINEと云うサイトでその方とつながっている。

歳は親子ほど違うが優しく付き合ってくれている、これも嬉しい事だ。


そして命日の5月10日からちょうど1ヶ月が過ぎた6月11日、

とんでもない人から電話がかかった。

とても失礼な表現かも知れないが、その時は何故(?_?)この人からと思えた。

戸籍上は従姉(いとこ)であるが、本当は4つ年上の実姉。

その実姉からの電話だった。

この姉からはずっと嫌われており、長い間疎遠になっていた。

だからとても驚いた。

私の破天荒な気質は姉には合わなく、離婚を繰り返す私に愛想を尽かし

一般人の生活からはかけ離れてる私は、姉にはやくざ者しか見えなかったのでしょう。

戸籍上も従姉だった事もあり、あえて近寄って来なかった。

さわらぬ神にたたりなし と云う処ですね。

ただ叔母ちゃんにあたる人はお互いの母親には変わりない。


その叔母ちゃんはこの10数年、闘病生活を送っている事は知っており、

その間この姉がずっと介護をしてくれている事も実兄より聞いていた。

それにはいつも感謝していたが私からは電話は出来ず、実兄にしか話せなかった。

毎年恒例の様に叔母ちゃんの誕生日には実兄へ電話し状況を聞いた。

しかし昨年は携帯にも家にも電話が繋がらず仕舞いになった。

実兄は一級建築士、徳島で事務所をし頭も良く、真面目な人だった。

私と兄弟とは、似ても似つかぬの人物でした。

でもその時は別に気に留める事もなく、今日まで来てしまった。

そしてこの日に、実姉から兄の死を聞かされた。

それも1年半前に亡くなっていたのだ。

これにはまた凄い衝撃を受けた。


同じ兄弟で合っても何にも知らず、

息子と同様、お葬式にも行けない自分をまた嘆いた。

これってホンマ宿命なのでしょう~ね?


しかし兄は亡くなる前に私の携帯番号や

「お母ちゃんの誕生日には、かずよっちゃんから毎年電話があるよって~」

と姉に伝えてくれていたようだ。

しかし連絡はもらえなかった。

これも私の行ないの悪さ、仕方ない事かも知れない。

それほど私は身内からは嫌われていた。

でも自分は色んな環境の中、精いっぱい生きて来た。

たえず一生懸命生きた。

前を向き、明るく務め、周りに気遣い、

生きて来たつもりだが、それは自分しか分からない事である。

だから敢えて認めてもらうとは思っていない。

人は人、みんな考え方は違うんだから~私は自分を生きた。

しかし今回、善人の死でなぜか急展開した。

これは彼の計らいなのかも~?

姉と仲良くして一人になった母親、叔母ちゃんのお見舞いに行きやぁー

親思いの善人が最後にくれた私への贈り物だったのかも分かりません。

だから嫌われていた姉からの思いもよらぬ電話が鳴ったのかも~

姉は息子を亡くした私の心境を察してくれた上、お金まで送ってくれた。

やっぱりこれが肉親なのかと兄弟のいない私は今回初めて実感した。

そして今度、私に逢ってくれるとまで云ってくれた。

その時には、叔母ちゃんのお見舞いさせてとお願いするつもりだ!


実兄の辛い知らせではあったが、ポジティブに生きていこうと思った。

死者は四十九日の間、この世の後片付けをしてから旅立つと聞いた。

だからこれは善人の最後の仕事なのかも知れないと思えた。

こじ付けかも知れないが、私は素直にそう受け止めた

そして彼は最後にこんなメッセージの様なものを遺した。

7週目の最後の土曜日、6月27日。

午後6時も回り、店が忙しくなりだした時の事です。

私は眼に異常を感じた。

前を見てもボケ、下を見てもまな板がニジミ、伝票の注文さえ読めない。

初めての症状だった、、、、

一瞬、頭の神経が切れたのかも知れないと思い、隣に居た同僚に告げた。

倒れたら、店に迷惑かかる事を恐れ暫く症状を監視した。

体調に異常ないのに眼だけがヘンだった。

よく見るとそれは水滴で前が見えないのである。

メガネを拭いてもその水滴は消えなかった。

私の下瞼に溜まった水滴は、何度拭いてもまた溢れた。

涙なのかと思ってもそれは私の涙ではない。

そんな事が5分ぐらい続いただろうか~何とか治まった。

その後、症状は現れず私は仕事に追われた・・・

ひと段落がついた頃、私は今日が四十九日の最期と気付いた。

あの涙は私の涙ではなく、善人の涙だったのか、、、

冥土への旅立ちの前に私に逢いに来てくれたのかも知れない。

それを伝えたくあんな症状がでたのかもと思った。

そう思うと今度は自分の涙で目頭が熱くなった。

彼との最期の別れ、彼は私に涙して旅立って逝ったのか・・・

とても淋しかったが逢いに来てくれてとてもうれしく思えた。

そして帰り道、いつもの様に彼を思いだしていたが、

その時の心の重さはいつもとは違っていた。

心を締めつける感はなく、安堵感が心を充満した。

その時、初めて善人が本当に死んだ様に思えた。

そして週明けの日、元嫁に納骨の日を聞こうとCメールしたら

何と、27日の土曜日だったと返信が来た。

私は素直に彼からの最後の贈り物だったと全てを受け止めた。

今度の休みは、一番に一心寺へ逢いに行きます。

そしてやんちゃな娘が云っていた様に、がまんせんと泣いてきます。

おわり

今回、私事のブログにお付き合いして頂き
ありがとうございました。

皆様のお陰で心乱す事なく、善兄ぃを送ってやる事が出来ました。
たまには善兄ぃの事、思い出してやって下さいネ。
本当に本当にありがとうございました。

2015/07/03 父より