旅立ちの日
徳島への旅行がすずめとの最後の旅となった。
私もすずめもそんな事など感じないまま楽しく過ごした。
叔母ちゃんの家で一泊し一晩語り合った。
その帰りにすずめはいっぱいの土産貰い喜んだ。
叔母ちゃんも又3回目の結婚をこの娘とするのだろうと思ったに違いない。
二日目はレオマワールドで十分すぎるほど一緒にれた。
三日目に自宅へ戻りこれで未練なく出国できる気持ちになれた。
そしてに出発の日がれた。

最後の夜は二人で晩餐し遅くまで飲み明かしたせいで
旅立つ朝は二日酔いだった。
42年目にして始めて海外に旅立つ日に有ってはならなかったが
酔った勢いで行きたかったのが事実だったのかも知れない

大阪の伊丹空港へ向かう車中、
すずめが
『本当に行くの〜?』聞いてきた。
聞きえかと思い『えぇー』と聞き返したが

すずめの顔がとてもそうにった。
すずめもやっぱり不安だったのか?
(やめようか〜)
一瞬思ったがそんな言葉は云えず私は黙った
胸中は、行く行かないの気持ちがたえず交錯していた。

搭乗手続きは慣れない上、
カバンの荷物が重量オーバーでとても
手間取った。

包丁や砥石、料理の本まで持って行こうとしたせいでカバンはいっぱいになった。
出国
した事のないので仕方ないが何点持ち帰ってもらう結果となった。
それでもまだオーバーし2万5千円を追徴された。
この荷物が後にトラブルを巻き起こした。

愛おしいすずめを日本に残し、
飛行機はトランジット先のシンガポールに向け飛立った

日本を出発してから約6時間、機は無事シンガポールには到着した。
シンガポールで9時間のトランジットがあったが
くなりこんなトラブルに遭遇した。
それは第一ターミナルと第二ターミナルをぶ無人電車で起こった。

その電車が途中で急停車し、その後も一向に動こうとしない。
私はこの状況が把握できず、
周りに居る人達の会話を聞くが私には理解出来ない。
英語やスペイン語が飛び交い、私に分かる筈もない。
車内放送もないまま10分位経過した頃、車内の乗客がちょっと騒ぎ始めた。
冷房は切れ、車内は異常な暑さに大変な状況になった。
窓は開かず扉も開かず缶詰状態で乗務員の来るのを全員がひたすらった。
しかし外国ってホンマのんびりしたものである。
てる様子もなく、怒る事もなくただ待っていた。
その後乗務員は来たが、電車をかせる事は出来なかった。
情けない人たちである。
全員が車両から降ろされ、結局路線を歩かされるハメになった。
シンガポールはホントにかった、
その上あの重量オーバーのカバンはここでも厄介なお荷物になった。

だくだくで第二ターミナルに着いた時にははカラカラ状態になっていた。
飲み物を買おうと自動販売機を探すも何処にもない、
後で知った事だが外国には自販機などいのである。
その上、生水は飲むなと聞いていたのでずいぶん辛抱はしたが、
限界を感じ買うことに決めたが買い方さえ分からない。

伊丹空港でドルにチェンジしていたが、シンガポールドルは持ってない。
その上、何処でシンガポールドルにチェンジするのか、
ドルや円で買えるのかさえ分からなかった。
おまけに英語は話せないし、本当にってしまった。

その時、マクドナルドが私の目に入った。
此処
だったら何とかなるだろうと思い買いに行った。
小さい頃、初めて駄菓子屋へ行く様な勇気がその時いった。
そして知ってる英語を全て使い何とかドルでコーラをゲットする事ができた。
その時のコーラの味はホンマ格別だった。

そして搭乗ロビーでまた長い間、待ったのである。
9時間はあまりにもすぎた、
そうかといってあの重いボストンバックを持って歩けず、
つしかない、まさに忍耐力の勝負であった。

やっと搭乗手続きがまったのは到着してから7時間後、
真夜中の1時過ぎから始まった。
当然、私が一番りであったがここでまた手間取ってしまった。
やはりあのカバンの重さであった。

今度は日本語でなく英語でられるからなお意味不明になった
日本で払ったのだから『もういいでしょ〜』
と云いたいが、英語で伝える事が出来ない。
その上早口で向こうからの一方通行に云っている事が理解できない。
一生懸命聞こうとしたが、所々しか解釈できず苦労した。
しかしエライものである、
20・30回も聞いている内に少しずつではあるが理解できはじめた。
やはり重量オーバーで今度は日本円で8万円支払いしろとであった。
しかもそれをシンガポールドルでわなくてはならず、
これまた大変な事態になった。
ましてやこんな真夜中に銀行が開いているんですか?と云いたくなった。
もしや出発できなくなるのではとそちらの方が心配になった。

しかしマンモス空港である。
24時間開いている銀行がここにはあった、
搭乗の受付嬢が私に地図を書いてくれた。
そしてシンガポールドル1000$を支払い、
無事手続きが終了し、やっと搭乗する事ができた。

本当に長いトランジットであった。
そこで私はもう海外行きは御免だと思ったにいない。

そして深夜の3時30分、
セイシェルに一機しかないエア・セイシェルは
母国
に向けて飛び立った。

時差
4時間この機が着いたのが早朝の5時30分、
夜明けのセイシェルが私をえてくれた。

つづく