筋書きのない、帰国  
アニーが去ってからまた退屈な日々を私は過ごす事になったが、
社長が私に、『天野くん、すまなかったネ』と一言られた。

社長
はすべてをっていた様だった。
しかし気ままなママを止められなかったのでしょう。

でも私が結婚しなくて一番良かったのは社長だったかも知れません。
社長
の心の中は読み取れなかったが、いい人だなぁーとその時思えた。

ゴルフにもずいぶん一緒に行き、お酒も酌み交わしたがそこまでは分からなかった。
しかし今回、心の中が少し見えた様な気がした。

その社長にその頃、経営の危機
近海で操業している日本船13
一斉に日本へ引き上げる情報が入った。

この漁場でのカツオ採算が合わず、離れようとしていた。

社長
本業は日本船のお手伝いするエージェントである。
日本船がいなくなればもう商売はお手上げだ。
レストランだけでは経営は成り立たない。
まぐろ船もたまには寄港するが、
年に数回しかなくこれでは仕事にならない。

社長
にとっては大変な状況になってしまった。
日本船がいなくなれば、レストランも大きな痛手を受ける。
痛手
だけではまない、経営もいかなくなるのは目に見えていた。
これは私にとっても大変な事態である。

その時、社長
はこのレストランをする人誰がいないか?と私に聞いてきた。
しかし日本ならともかく、こんな遠い所まで来る人など
いないと思ったがいにFaxだけはしてあげた。

そして日本船が一隻、一隻と日本に向けて帰国して行った。

これはしいと云うものではまらない、私達には死活問題になった。
そして1ヶ月を過ぎた頃にはほとんどが帰国し、数隻だけが残った。

そんな折、社長の娘さんが日本で結婚する事になり
社長は日本に帰らなくてはならなくなった。
そして私に1ヶ月間、休む様にと云い出した。

休む事はわないが、その私はどうすればいいのか聞いてみた。
社長
は、私に隣国のケニヤにでも行って来るか? うのである。
私は外国などりでここの国だけでもう十分であった。
その上、この一ヶ月の給料は出ないと言われた。
不当
ではあったが台所は火の車になっているのを私はした。
だからそれ以上は何も云えなかった。

私は一瞬社長といっしょに一時帰国を考えた
が帰国したらもう来る気持ちにはなれないと思い、悩んだ
その時社長がある提案を私に出した。

それは、契約途中ではあったがミッション終了である。

満了
であれば帰国の運賃は会社持ちだが、今回は自腹となった。
でもこの状況を思えば、旅費ぐらいもうイイやと思えるほど社長しんでおられた。

考えに考えた末、私は一緒に帰る事を決めた。
しかし出発の日はもう明日にっており、ギリギリの選択であった。

この国に来て1年と3ヵ月、最後の雰囲気を味わうにはあまりにもすぎた。
本当なら気分良く任務を終了し、
この国のにお別れをしたかったがそれも無理となった。

ドタバタな帰国に達成感や満足感などなく、日本の女神に連絡するのが精一杯だった。

女神にしてもわけの分からない帰国に戸惑った様子で喜びさえ感じられない。
逆に帰ってくるのががっているにさえ感じ取れた。
何と言う結末を私は味わわなければならないのか、二重失望くしかなかった。

孤独と戦った455日がこんな結末になったのかと、
ある意味で後悔したのかも知れません。

部屋の荷物を整理し、最後の夜をひとりしく荷造りした。
来た時とは違い荷物は商売道具しかもうカバンには入れず、
思い出の物などすべていていった。

思い出はいっぱい出来たが、
持って帰りたい思い出など何一つもなかった。

帰国の当日は早くに起き、
めても在住の日本人宛に手紙だけでも渡そうと書いた。

いつものあのテラスで会っていた人、
私に英語を教えてくれた人、
5人の人達におを書いた。

もう会う事もない方々に手紙だけでもことづけたく、空港へ向かった

しかし夕方の空港に着いた時、私は自分の目をった。

そのがみんな来てくれていたのである。

日本人だけではない、
洗濯をしてくれたあのセルシワの姉妹で来ていた。

私は感激してしまった。
この国の最後にこんな素晴らしい思い出をったのである。

それには社長心遣いを私は感じ、本当に有難かったかった。

ポケットに残っていた最後のお金(ルピー)をセルシワのにプレゼントする事もできた。

1993年10月9日、日本は明日体育の日、この日が帰国の日となった。
でも体育の日は時差のせいで無くなり、日本に着いた日は10月11日になった。

そしてあの社長は帰国して1年3ヵ月目阪神大震災の前日、
1995116日、セイシェルにて亡くなられた訃報を聞いた。

その後、大変なご苦労があったと聞き私は帰国して良かったと思った。

そして心からお礼とご冥福をお祈りしました。

私は人様には経験できない程の体験をする事ができ、
ひと周りもふた周りも大きくなった様な気がした。

そしてこれから私は第二の人生を味わって行くのである。
日本には帰って来たものの、全てが一からのスタートとなった。
愛の女神も私の住まいからすぐ引越しし、女気のない独身生活が始まった。

しかし私の人生はこれからもまだまだ色んな事に遭遇し、
失敗ばかりを重ねて行くのです。

これからの体験の方が笑えるかも知れません。

そして一番に体験したのが、
あのマヨネーズおばさんでした。

次は第二の人生です。

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