マヨネーズおばさん
のはなしです
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マヨネーズ?
もちろん食べるマヨネーズですが、このおばさんがマヨネーズでもないし、
マヨネーズが好きなおばさんでもないから最初に申し添えておきます。

 それとおばさんと書いていますが、本当は私よりもはるかに若い人です。
だからこれも又、最初にお詫びしなければ~ね!

このはなしは1993年、私が海外から帰国してからの出来事である。
2年近く日本を離れたブランクは大変大きなものだった。

 浦島太郎になった様でみんなの話に中々ついて行けない。
日本の情勢もそうだが、芸能界の事だって丸っきり分らなくなっていた。
その上女性観、見方にしても以前とはずいぶん変っていましたね? 

 黒い者ばかり見て来たせいか日本の女性がみんな、綺麗に見えて仕方なかった。

そして帰国後すぐ私は、ある百貨店の有名な老舗のすし店で働くことができた。

海外帰りとあって何故かすぐに採用された。
英語でも喋れると思ったのでしょうかね?

高級店で働くのは久しぶりだっただけにとても嬉しかった。

しかし私はまだ浦島太郎だった。
見るもの、聞くものがとても新鮮に思えていた時でした。

回りを見渡しても今までとは違って見えた。

 その時、一人の女性が私の目に留まった。

これは助べぇの眼で見たのではなく、
働く様子が私の目を惹いた。

海外であまり真剣に働く女性を見なかったせいでしょうか?
その娘は店のジュウタンの汚れをしゃがみ込んで一生懸命拭いていた。
私はその仕草がとてもきれいに見え、清々しさえを覚えた。

そしてその娘に出くわしたのがこの話しのスタートである。

しかしである、その娘の歳が私にはどうしても分からなかったのです。
これはやはり目の時差なのかも知れないと思った。

そんなある日、私はその娘に


『貴女、大学何回生?』と聞いていた。

ごく普通に聞いたつもりだったが、
その娘は目を点にして私を睨みつけ、何の返答もしなかった。

 私はホンマにアホでっせ・・・

目と頭までが浦島太郎になっていたのですかね?

大学生と云ったら20歳そこそこですよね、
それを分かっていなかったようです。

後から聞いたはなしですが~

その娘曰く、

『なんと古くさい、ナンパなんや・・・』
と思ったそうです。

それもそのはず~
彼女には二人の子供がいたんですから~

結局、その時は助べぇのオッサンとしか思われていなかった様です。
(そらそうでしょうネ~ 我ながら恥ずかしいです)

でもこれがきっかけでこの娘は私を意識し始める様になった。

何がキッカケになるのか、ホント分りませんね?~ 

その答えは年齢33歳であった。

本当ならこれは無礼すぎたけど~
ここまできたら逆に
「ギャグ」でした。

出会いなんて本当に分らないものです、
こんなちょっとしたきっかけで変って行くのです。

その後、この娘はすすんで私に話ししてくれるまでになった。

この娘はすし屋以外にもスナックでバイトしている事まで喋ってくれた。

そして今度は逆に私がナンパされたのである。
そのスナックに誘われたのだ。

もちろん断る理由もない。
それより独り者の私には嬉しすぎた誘いでもあった。
ましてやそのスナックは知人の店だったので即OKし、来店した。

そして久しぶりの酒に私は酔いしれ、
三軒ぐらいはしごして帰ったのが
彼女との最初のデートだった。

もちろんその時、助べえはなかった。

それは帰国後のエイズ検査の結果がまだ出ていなかったからでもある。

この検査時の面白い話しは後日、書いておきますが、

帰国後の私の生活は、その娘の出現で大きく変って行った。

その後度々デートを重ねた。

そして私の家にも出入りする様になった彼女は、
通い妻の様な存在となって行ったのです。

私にとって、最高のパターンでした。

掃除、洗濯、炊事・・・、

淋しい時には来てくれ、夜は妻まで演じてくれた。
(ご安心下さい、その時には検査の結果は陰性でした。)

ホンマいい娘でした、イヤもう
「娘」ではない。

でも私にとって申し分のない「いい女」でいてくれたのです。


これで話しが終わったら万々歳ですが、
そう旨くいかないのが私でした。



そこでまた女性の出現です。

こんな時に出てくれんでいいのに、神様はホンマ意地悪です。
ある女性に神は私を引き合わせたのです~?

しかしそれは特にインパクトもない出会いから始まった。

 意識もないまま私はその女性と接していた。

しかしある事がきっかけでその距離がぐぅーんと近づいた。

この女性、私が以前働いていた店の板前と結婚し、
すぐ離婚したバツイチ女性であった。

その板前の事はこの百貨店に入る前に聞いていたが、
べつに気に留める事でもなかった。

当たり前である。
この百貨店には千人以上の女性が働いている。
そこで出会うなんて想像もしていなかった。

まして探す気など毛頭なく、すぐに忘れていた。

 しかしこれが私の運命なのでしょう~かね

そんな中、その女性に出くわす事になったのだから…

百貨店の屋上には喫茶店とペットショップがあり、
そこでその女性が働いていた。

偶然なのでしょうかね、
私はそこで毎日昼の休憩をとっていた。

ホントに偶然しか云い様がなかった。

 当初はお客さんの会話だけであったが
それがきっかけで急に話しは弾みだした。

そしてだんだん私と彼女の距離は近づいた。

しかしである。

この女性、歳が20才。私とほぼ二周り離れていた。

まるで親子の様だった。

そのせいでしょうか、彼女は私に色んな相談をしてきた。

お母さんの事から始まり、
自分の過去の生立ちまで私に打ち明けたのである。


彼女が小学1年生の時、両親が離婚し
姉と二人が15歳になるまで
施設で育った事まで喋り出した。

そんな話しを聞く中で、心に刺さるものを私は感じた。

 そしてその話しにだんだんのめり込んで行った。

こんな生立ちは、一般人にはまるで無縁のような話しである。

この娘はそれを幼少期から味わい、
可哀想な宿命を背負う彼女に私は心を痛めた。

それはあまりにも不憫すぎた。

そしてこの娘がずっと知りたがっていたのが、
生き別れをした父の消息であった。

 母親に聞いてもあまりいい返事が返ってこなく、
彼女は聞くこともしなくなったそうだ。

テレビ番組の
〔この人を探して下さい〕や、
ご対面番組へも再三投書するも相手にもしてもらえなかった様である。

そしていつしか、彼女は父親探しをあきらめてしまった。

そんな話しを聞く中、私は別れた三人の子供達の事をを思いだしていた。

これは他人事とは思えず、私は彼女の父親探しに乗り出したのである。

 彼女の願いを何とか叶えてやりたいと思う心が
彼女との距離をより近くにして行ったのかも知れませんね。

当然、その頃の彼女は私を男として見てなかったし、
私もそんな気持ちはなかった。


 こんな事があり、私と通い妻との距離が少し開いてしまった。

その後も私は父親探しに奮闘した。
役所へ行ったり、あちこち電話をしたりで大忙しだった。

 これは男の面子と考えたら良いのか、
他に邪気はなかったのか私には分らないが、
その時は探す事に必死になっていた。


しかしこの件は通い妻には一切告げず、秘密していた。

これはどこかで彼女を
おんなとして見ていたかも知れませんね。

 本音は、どうだったのだろうか? 

難しい質問ではあるが、
その時は気が済むまでしてあげたかったのが本心だろう。

父親を見つけ自分自身が納得できたら、
また通い妻の元へ戻っていたのかも知れない。

しかし女の勘は凄かった、
通い妻は私が距離をおいたのを察してしまった。

そして

究極の選択を問われる時が来た。

もう少し待っててほしいと思うが、そうもいかない。

二兎を追うもの一兎も獲ずではないが、
いち早い決断を余儀なくされてしまった。

でも中途半端で父親探しを止める訳にも行かず、
そうかと云って通い妻と別れるのも心が痛んだ。

彼女はまだ私を男性と意識はしていないし、
これから先、どうなるかも今の私には分らない。

でも探し出すまで止められないのが私の性格。

 そんな時である。
ある事がふと私の頭を余儀ってしまった。

通い妻とこのまま行けばきっと結婚を言うだろう~

一緒になるのはいいが、
唯一、気になったのが彼女の子供だった。

以前私は自分の子供を捨て、結婚し
他人の子を我が子と思い育てた。

しかし離婚をした時、その子供達から非難された。
もう懲り懲りといえる程のすごい言葉を受けた。

だから子供が一番のネックになった。
決して子供が嫌いではない。

しかし何ぼ可愛がっても
所詮、他人さんの子は他人さんだと思うしかなかった。

でもそんな事、通い妻には云えなかった。

それだったら黙って別れた方が良いと
私は小さな頭で考えた。

そして彼女の為に時間をつくろうと苦渋の決断をした。

 しかし問題は別れ方にあった。
ここで私は大変な間違いをしてしまったのだ。

本来なら彼女の話しもすべきであったが、
私は一切その事には触れず、何も言わなかった。

それは一番楽でずるい方法だった。
私はあやふやな言い方で別れを選択した。

このあやふやな気持ちがその後、
大きな大惨事となって私を襲うハメになった。



何でこんなに幸せな時に、
神は意地悪をするのでしょうか? 

人恋しい時には、誰もいなく、苦しみ・・・

やっと新しい人に巡り合え良かったと思った時、
また違った人がやって来るなんて何故だろう~

先に彼女と逢い、後から通い妻が現れた
としたら私はどうしただろう~

ひょっとしたら子供のいる通い妻には
手を出していなかったのではないかと
私は考えてしまった。

これが私の宿命であり、
他の何者でもないと思うしか答えは
でなかったのである。


 通い妻には結局は何も云わず、
なぁーなぁーであやふやな別れ方をしてしまったのだ。

これは確かに、ズルイやり方でした。

私は綺麗な別れ方と思っていたのでしょうかね?

でも綺麗な別れ方などないはずです。

もしあるとすればそれは愛が終わっていたからでしょう!

ここが一番大事な処であったが
私はそれを全然分っていなかった。

通い妻の愛はまだ終わってはいなかったのである。

『 もういいよ、別れましよう~』
とあっさり通い妻は云った。

しかし心の奥底まで私はは見抜けなかったのである。

そして少しの間、気まずい流れの中での仕事が続いた。

当然同じ職場の中だから気は使った。

しかし通い妻も何とか元気を取り戻した様に見え、
前のような会話もまた二人の中に生まれだした。

忘れてくれたんだと少し肩の荷がとれた思いがし、
ある意味ホッとしていたのである。

 電話もかかってくる事もなく、1ヶ月以上が過ぎました。


あの娘の父親探しも徐々にではあるが進展して行き、
居場所と電話番号まで私は突き止めた。

私は日々、その娘の事で頭はいっぱいであった。

 通い妻の事など、もうすっかり忘れていたのかも知れません。
(薄情な奴ですね~私は・・・)

私はその時、もうお節介なおやじではなく
その娘を愛した一人の男性となっていた。

 そして遂に父と娘の再会の時が訪れた、
全ての舞台が私の手で整ったのである。

この娘も長い間、この機会を待ちわびていたでしょう~ネ。

私までが興奮していた事を今でもはっきり覚えています。

昼の休憩時間、父親の居場所と電話番号を書いたメモを渡すと
その紙をじぃーとその娘は見入っていた。

願いがやっと叶った瞬間だったかも知れません。

私は声をかけるのをためらうほど、
この娘は何かを思い起しているように見えた。

たぶん、過去の色々な思いが
いっぺんに湧いてきた時だったのでしょう~
と私は察した。

その父親は福井に住んで居たのだ、
何故福井だったのかはこの娘も分からなかった。

福井までなら送ってあげようかと云うと、
『電話だけ貸して』と云ったので、
仕事が終わってこの娘を私の家に連れて来た。


たぶん一人で電話するのが怖かったのでしょう~ね

もちろんこの娘が家に来たのは今回が初めてでした。

長年の思いがやっと叶う瞬間に私は同席した。

電話を掛ける手が心なしか震えている様に思え、

『 席を外そうか? 』と私は問うた。

でもこの娘は首を横に振ったが言葉はなかった。

行き詰まる父と娘の会話が始まったのである。


内容は分からないが、
明るく喋ろうと努めていたこの娘が時間がたつにつれ、
変わっていくのが目に見えてわかった。

何か悪い雰囲気を感じるにはいられない、
二人の会話に何が起こったのか?


そしてこの娘が受話器を置いた時には、
もう落ち込んだ彼女しかそこにはいなかった。

 
『福井まで行くか?』
と聞いたけど、

答えは返ってこなかった。

でもこの娘の目には、
涙ひとつなかったのがとても印象的だった。

 本当なら感激する一幕なのに、
この娘の場合、そんな美談の欠片さえ見えなかった。

それどころか、何か大きなモノにぶち当たり、
その現実に立ち向かおうとする姿が私には窺えた。

その時のこの娘はとても強そうに見えたが、
ある反面とても可哀想に思え、私はその夜初めてその娘を抱いた。



 しかしそれ以後、
この娘は一度たりとも父親を口にする事はなかった。

私のした事がこの娘の父親像を根本から潰しただけでなく、
嫌な思いを残しただけに過ぎなかった。

それから私はこの娘を頻繁に家へ連れてきた。
あの件のお詫びだったのかも分かりません。

しかしこの娘が私を好きになったかは分からなかった。

理想の父親像に私に置換えていたのかも知れません。

結婚する確約などお互いしないまま、
この娘の荷物を私の家へ運び込んだのはそれから一ヶ月後だった。。

 そして誰に云うのでもなく、私はこの娘と同棲を始めた。

本格的に暮らしだした数日後だった、
私は店の社長から招待を受けた。

売上アップで感謝の意味らしく、
私はこの娘を連れ大阪まで行く事になった。

これが忘れもしない1994年831日であり、
この日にこの事件が起こった!


追伸

まだマヨネーズおばさんが出てきていませんが、
ネタを明かすとこの通い妻がその人なのです。

何んでマヨネーズかは、これから分かって頂けます。

つづく