人生のシナリオは消えた

手術ができて成功したのは、奇跡中の奇跡と云ってよかった。
子供の死の恐怖からとりあえずは解放されたが、
あの時、私が取った行動は決して妻にとって許されるものではなかった。
それが証拠に逃避行から帰宅したあの夜、熟睡中の私の太ももを妻は文化包丁で刺していた。
切れない包丁だったので大事には至らなかったが、相当怒っていたのは確かだった。

退院後も年に2回抗がん剤の治療を5年間、定期的にうけた。
腎臓の上にあった副腎は全部切除され、肝臓の一部と腎臓の一部も切除された。
これで他への転移は軽減された。
5年の再発しなければ、治療完治する。
私ら夫婦も以前な生活がったに形だけは見えた。
イヤ、それは私だけが思っていたシナリオだったかも知れない。
しかしあの時、妻が決断した事をいつ行われるのかは私には分らなかった。


私のスポンサーも3年前に病気で他界しており、資金は妻が握っていた。
そして私も以前ほどお金儲けができなくなっていた。
本職の板前も廃業状態だった。

妻からすれば、私はもう使い捨てカイロの
熱がでなくなったカイロと同様だったかも知れない。

そんな折、知人が鳥取の大山でホテルを買収したので私に依頼がきた。
妻は喜んで私を送り出した。

3カ月の期間が1年になってしまい、帰った時には妻も変わっていた。

私が発起した会社も妻が実権を握り、私の出番もなくなった。

その上、新築の家を買おうと云い出したのにはびっくりした。
ちょうどバブルの時期だったが、私らにはマンションもあった。
でも会計を全て握っていた妻に口出しはしなく従った。

子供も5年間の治療をやっと完了し、この年が最高の年を思われたが・・・
帰って来て半年、状況はずいぶん変わった。


「ホント、女性はいですネ」
念深い」と云ったがいいのかも、

あの時の決断した事を妻は実行した。

さぁ~これから妻の襲劇が始まった!

妻は子供の病気が完治するのをひたすら待っていた。

そして私が出稼ぎに行っている間、
コツコツと決行準備を進めた。

ての物の名義を変更し、
名義の物は新築の家のローンだけだった。

しかもその家も2人の名義にし、
る事もす事も出来ない代物になっていた。

私の生命保険は当然すべて解約され、
ほんとうに
私は裸一貫の無一文にされた。

住む所はローン付の家をおいてくれたが
家財道具もなきゃーベットもなくなっていた。

残ったのはテレビと布団ローンだけ。
妻は新築の家を購入しており、このりのさにびっくりした。

私が手にした物は一枚の離婚届。
妻が私に出した三行半である。
これほどのめさは今まで味わった事がなかった

これが裏切りの仕返しだったのかと思えの入れようだった。

そして離婚してはじめて妻が入籍した日をり、また離婚日も知った。
もうてはわった。

私は納得が行かず未練だけが残ったが、すでしである。
サイはげられてしまっていた


最後に我が子と別れを告げる時、
私はバイクに乗せて近所を回ってやった。

これが最期になると思いしかったが
精一杯楽しさをった

その時、バイクの前に乗った息子が下を向いていていた。
離婚の事など何も知らない子が
私に顔を見せないにして涙を流していた。

この光景に私はいたたまれない気持ちになった。

思いが残る最後の別れに私も涙した。

これで本当のりぼっちに私はなってしまった。
ちょうど40歳になる前でした。

私はこの妻と9年もの長い間、
えっぱなしの生活にかりすぎてしまった。

この脱皮に私はこれから何年間もかかった。
彼女は男を駄目にするタイプの女性ったのかも知れません。
いつの間にか私は本当の『ダメ男』になってしまった。

離婚後、私は毎日酒をむ日が続き空白日々を送った。
自分自身どうしたら良いのかも分らなかった。
前回の離婚とは比べものにならない位の孤独感に苛まれた。

そんな私を心配した知人店を貸してくれた。

そこで私は居酒屋
をする事にした。
これで私は元気を取りし、仕事がある事で私は息を吹き返した。

仕事は私にとって最善の薬だった。
そして居酒屋はオープンした。
そんなある日である、その仕事場に1本の電話がった。

さてその電話の相手は・・・?

つづく