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コンセプトconcept

 開店した動機!
  この店は2012年11月14日、小生62歳の誕生日を機にバーチャルで開店致しました。
   1972年、私は22歳の若さで寿司屋をオープンしました。
  あの時は私もまだ若かったし男前だった。。。あれから40ねん〜
   その間、いろんなことが・・・ありすぎました! 
  今はもうその元気も若さもなくなり、ボロボロの濡れ雑巾(ぞうきん)
  むかしの男前は何処へやら・・・
  ただあるのは、まだ衰えない口数の多さだけ〜嫌われる後期高齢者だ!
   若い娘に見向きもされず、話をしてもキモイと云われる今日この頃。
  むかしは、良かった〜たえず周りに女性が居たもんだ。『こんな顔でも!』
  ストーカーされた事もあった。それももう過去のはなし・・・淋しいもんです!
   むかしは女性にもモテたが、よくフラれもしました。
  今はもうモテる事もないし、フラれる事も少なくなった。
  お店も10数件もつぶした。 ほんまに学習能力もなかったのでしょうね〜
  (これは結婚に於いても同様、ホントお馬鹿さんです。)
  もう店をやる事もないし、女性にモテる歳でもないのでここで小生の生きざまを
  ページ上で公開し、反省と懺悔に変えさせていただきます。
   経験した数々の失敗談を書いていきます。
  ”人の不幸は蜜の味” をたっぷり味わい笑ってやって下さい。
  
  面白い体験やエピソードを交え、全てノンフィクションです。
  腹をかかえ笑って頂き、これをこれからの教訓にでもして下さい。
  そしてお客様のご期待に添えるページ作りに精を出していく覚悟です。
  皆様(お客様)が楽しめる寿司屋を、Web上で公開しますのでご贔屓下さいます様。
 私のコンセプト   (ちょっとだけ、本音!)
   今回架空の寿司店を作りにあたり、私の理念をちょっとだけ申すと
  今の寿司屋は、昔とは大きく変わってしまった事にあります。
   これは時代の流れであり仕方ない事だと思いますが
  とても悲しいはなしですネ。
   カウンター越しにお客様とやり取りする光景など、あまり見なくなってしまいました。
  そして一番気になるのがお客様のレベルの低下、これは板前も同様ですがね。
   これはお寿司屋だけに限った事ではありませんがとても淋しいはなしです。。。。 
  私は昔の寿司屋さんってこうだったんだよ〜、
  お寿司屋って面白くって素晴らしいだよ〜と伝えて行きたい!
   あなたの為のオンリーワンなものを寿司屋さんは作ってくれるんだから〜
  もちろんマナーは大切ですが、たまにはそんな緊張感もいいものです!

   『今日は、こんなものが入ってます!』
   『こんな風に食べたら美味しいですよ〜』
  あなたの好きなものをあなた好みで食べさせてくれる。
   それが寿司屋なのです。
  目の前のネタを目の前で調理し、作ってくれる醍醐味は寿司屋ならではです。
  食べ方とか、いわれとか、エピソードまでも教えてくれる。
   こんな高級な寿司店へ行く為の心得もここで伝えて行きたい、
  できるだけ会計が安くなる方法や? 板前さんに好かれる方法も教えたいものです。
   そして寿司屋さんから見たあなたのお客様レベルも採点したいものですね・・・

すしやへのこだわり 料理イメージ

      寿司屋は面白い!

『すしや』が面白い?  そうじゃーない。
厳密に云えば、板前とお客の駆け引きが面白い?
と云った方が正しかったのかも知れません。
 私は、この道40年を迎え様としている。
その間、色んな事を見たり、聞いたりして、体験してきた。
そしてこの職業へ就いた事に感謝し、又誇りに思える様にもなった。
そこにはお客様とのドラマがずいぶんあった様に思えた。
 ここで少し、私から見たお寿司屋のお話しをしましょう。


 回転ずしが主流になった今日、『すしや』のイメージは大きく変わってしまった。
日本の文化であった御寿司が、近頃ではただの食べ物になりつつある。
 良いのか、悪いのかはさて置き、私は悲しく思えた。
『すしや』には人対人、店対客のドラマがあり、今とは違った楽しさがあった様にも思えた。
 お客の人相を見て性格を察知したり、会話の中から客の好みを探り出すなど様々だった。
容姿や身なりで勘定の胸算用をするなど、職人から見ればこれが仕事の醍醐味だった。
 腕を磨くのも仕事なら、こちらも大切な仕事の一環だと私は捉えていた。
そして私はお客様から色んな事を教わる事ができ、又勉強もさせてもらった。
『すしや』だからこそ出来た環境かも知れない。 だから面白いのである。
 毎日が勉強で毎日が変化に飛んでいた様に思えてならない。
『いらっしゃい〜』から始まって『ありがとうございました』で終わる一日だが、
ネタも変われば、客も違う。 だから面白いのである。
 貴方が寿司屋へ行く時、どの様な気持ちで行かれ入店されますか?
行き付けの寿司屋なら、いつものあれとこれを食べようと期待し行くでしょう。
 さほど緊張感はなく、板前に注文をすると思います。
しかし、これが旅先とか知らない寿司屋に入るとしたらどうでしょう。
きっと緊張するのではないでしょうか〜?
懐の心配も当然あるが、何を食べさせてもらえるか、期待と心配があると思います。
それが、『すしや』なのです。
他の飲食店とは、ここが違う処だと私は認識しています。 そこが面白いのである。
貴方は入店したらまず回りを見渡し、雰囲気を察知しようとするでしょう〜ね。
高い店なのか、と考えるのではないかなぁ〜。
もしそこが高級感溢れたお店なら尚更です。 普通の人ならまずそう考えるでしょう。
たまに場慣れされたお金持ちが来て、困らされる事もありましたがね。
 しかし緊張するのは、お客さんだけではないのです。 職人もお客と同じです。
一見のお客さんが見えられたら、職人の方が緊張していたのかも分かりません。
 私の場合は、緊張しました。 まず目から受けた印象から入りましたね。
お客様の仕草を観察し、あらゆる処をチェックしました。 そこが肝心でした。
お互いが身構える瞬間だった様にも思える。
ある意味でこの瞬間が最高の時なのかも知れません。
そして私が一番にチェックするのがオーダーの通し方だった。
 それは何を意味していたのか? 
お客様が発した最初の一言で気品や場慣れを感じとる事ができた。
失礼ではあるが、その時にランク付けをしていたのかも知れません。
自分の物差しを出し、何かを測っていたのではないでしょうか。
たぶんそれは、自分とお客様の距離だったのかも知れない。
よく分からないが、相性も見ていた様な気もした。
好感を持てる人なのか、それとも逆なのか、正に推理ゲームであった。

お客様は十人十色です。気さくに話してくれる人、身構えたままの人、気難しい人など、
それは様々であった。 しかしここからが板前の本領を発揮する時なのです。
 お客の発した少しの喋りから手探りでお客の中へと入って行かねばならない。
ここが一番難しい処である。 寄り過ぎず、離れ過ぎず、と距離を保っていく。
あの物差しは、ひょっとするとこっちだったのかも知れません。
 話しのきっかけを探す為、耳はダァンボになっていた。
どんな些細な事でも聴きのがさず、突破口を探していましたね。
ありふれた接待語より、身近な話題に触れようと私は耳を傾けた。
日々のニュースはもちろんの事、ありとあらゆる事を浅く広く知っておかなければ、
この『立ち』の仕事はまらない。 
『すしや』が面白いと云ったが、本当はこの『立ち』の仕事が面白かったのである。
*『立ち』はすしやの隠語でカウンターの前に立つ板前の事である。
 すし職人はたくさんいますが、本当の『立ち』が出来る人は少ない様に思います。
 他に和食の職人を『オキ』と呼んだりもしています。

そして言葉の端に、もし魚の話しがでれば、それは絶好のチャンスだった。
魚に関しては、お手の物である。それにまつわる知識やエピソードまでたっぷり持っていた。
そうこうして話しが進むと、もうこちらの手の内にあると云っていい。
刑事(デカ)が云う、落ちたと同じようなものである。
しかし会話中もお客様の目の動きからは、決して目を離さない。何故ならば〜
お客は必ず欲しいネタの処に視線が行くからである。 だからそれを進めてあげる。
何種かのネタを食べられると、大体ではあるがお客の好みは見えてくる。
 本当に魚が好きなのか、脂こい物を好まれるのか、あっさりした物がいいのか、
それも分かりだすのである。
 一品物も造りから始まり、焼き物、煮物、天麩羅、酢の物など、寿司屋には色々ある。
これにっても好みは分かるものである。
 しかしこれで良いのではない。これからが大変なのである。
これを頭に記憶しておかなければ、何の意味もなくなってしまう。
次回の来店まで覚えておくのが、『立ち』の大事な仕事なのである。
今ならデータとしてパソコンに入れておけばいいのだが、当時そんな物はない。
しかし、それらは覚えられるものである。 会話さえあれば、容易かった。
何故なら、そこには必ず個人差があるからである。 俗に云う、好き嫌いである。
そして緊張が解れたらお客はだんだん我がままを出してくる。
シャリきん(しゃりが少なめ)とか、涙(わさび)を強めとか、少なめとか言い出す。
これ位ならまだインパクトは少ないが、我侭が多ければ多い程そのお客は良く覚えられた。
しかし最初から名前は聞けないので、顔を覚えるのには苦労した。

 そして、もっとも難しいのが一見客の値づけである。
一応、価格はあるが魚の部位はややこしい。腹と尾では味も違えば値段も違う。
 お客の好みに合わせるだけならいいが、懐に合わせなければ値づけは出来ない。
その為に容姿や身なりが必要になってくるのである。
昔の板前は、客の財布の中身まで解ると聞かされていた。
最近ではカードがあるので恥をかす事はなくなったが、昔は大変だったと思う。
 しかし厳密に云えば、それだけでお勘定を決めていないと私は思った。
お客の好感度が一番左右していたのでは、ないでしょうか?
だから寿司屋では板前に嫌われては、損なのである。
 その点、関東圏のお客さんは賢い、職人を『板前さん』、と云って上手に持ち上げる。
それに比べると、関西のお客はとても無礼だ。
『オイ』とか『兄ちゃん』としか板前を呼ばない。
まぁ〜中には、『大将』や『おやじ』と云う人はいましたが、その客らはまだ許せた。
これはやはりすし文化の違いだとつくづく思いましたね。 
そして悔しかったけど寿司屋は、やはり関東だなぁーと小生は思った。
 関東の寿司屋は、とても粋だった。
関東弁が寿司屋にはマッチしていて客とのやり取りが、これまたイナセに聞こえた。
歯切れの良い口調でお客との会話は、見ていてとてもテンポが良く気持ちが良い!
これぞ『タチ』の本髄である様に小生には見えた。
だから小生も関東圏で仕事がしたく、一度だけ行った事がある。
関東弁は話せなかったが、当時大阪弁が持て囃されていたので助かった。

そして私が一番緊張したお客様がいました。
それは、決して芸能人や有名人ではなく、ごく普通の年配のお客様でした。
 もちろん上品な紳士だったが、オーダーの通し方で私はビビらされてしまった。
別に難しい注文でもないのだが、云われた言葉の響きがあまりにも重みを感じたのである。
関東で云う、『粋イキ』な人の様に思えてならなかった。
 魚の事など私が偉そうに云える次元ではない事を悟った時、緊張度は尚更上がった。
全てを熟知し尽していた様に感じられ、私の出番はない様にも見えた。
逆に私の方が、試験を受けている客の様に感じてしまったのである。
正に気品と気質を重ね持った、素晴らしいお客様であったのを思い出した。
 そしてその方から私は色んなお店の話しを聞く事ができ、とても勉強させて頂いた。
私達板前は、井の中のかわずである。 お金持ちや食通にはとうてい叶わないのである。
板前が偉そうに、(俺は十数件の店を回って来た)と言ってもたかが知れている。
この方達は、その何十倍もの店に行き、色んな物を食して来た人達なのである。
 正に脱帽である、しかしその紳士はとても好感の持てたお客様でした。
そして何が良かったか分からないが、そのお客は又店に来て頂く事ができた。
でもこんな金持ちもいた反面、こんな不愉快なお金持ちもおられました。
確かにれされたお客ではあったが、先ほどの客とは大違いだった。
 緊張感は勿論ありましたが、ビビる事は一切なかった。
その違いは何んだのか、多分それはお客が持つ気品なのかも知れません。
どう見ても上品とは云いがたかった、土地成金としか見えない。
偉そうに言葉を発し、上から目線で見下し私たち板前を小馬鹿にして扱ったのである。
俺はお前らとは違うんだとでも思っている様にも見えた。
 しかし店にとっては、こんなお客ほど有難い客はいない。
板前さえ我慢すれば、売上げが取れるいいお客様なのである。
そこで私は、又大変良い勉強をさせて貰う事ができた。
それは、その様なお金持ちが持つ価値観の違いであった。
そんなお客ほどお勘定が安ければ喜ばないのである。逆に高ければ満足された。
一体それは何故なのか、当初私は分からなかった。
安い方が良いに決まっていると私は思い込んでいた。
しかしそれは私が持っているお金の価値観にあった。
極端に云えば、私の壱万円はその人らにとっては千円位の価値しかないのかも知れない。
品物の良し悪しより、金額の高い方が必ず良い物と金持ちは思っていたのでしょうか。
だからそこを見極めなければいけなかった。逆に安ければ失礼になったのである。
私は自分の価値観より高く値付けが出きた。本当に嬉しいお客、オイシイお客様であった。
普通の店で商品を買うのと、寿司屋で品物を買うのは、ここに大きな違いがある様だ。
これも寿司屋が持つ、独特な商売に思えたのもこれがきっかけだった。
しかし最終的にはお客様が満足され、納得されれば良いのである。
でもどんなお客様にでも心遣いと気配りは欠かせない配慮であるのは云うまでもない。
そしておあいそをして帰られる時に結果が分かる、通知簿をもらう瞬間だ。
お客様の胸算用や満足度がお勘定を見た顔に必ずうかがい知る事ができた。
喜ばれて帰られた時ほど、板前冥利に尽きる最高の瞬間だ。

そこで私はこの高級店でこんな体験をした。
良いのか悪いのか、皆様はどの様に理解されるでしょうか?考えて見て下さい。
それはいつもの常連客が帰られる時だった。
店の女将が慌てて店から出て行き、ケーキを買い帰って来た。
そしてそのお客が帰られる時、女将はお嬢さんに食べて貰って下さいとケーキを渡された。
今日はこのお客様、いつものお嬢さんを連れて来て居なかった様だ。
だから女将が気遣ってケーキを買って来たのである。
とても粋な心遣いと私は感心してしまった。 お客も大変喜びされ、頭をさげて帰られた。
これぞ高級店ならではの、おもてなしと小生は思えた。
 しかしである。 女将はこのケーキ代を勘定に上乗せしてしまったのである。
ナント云う事だ、これぞ大阪商人の商いなのかと小生は驚き、首を傾げた。
あのケーキはプレゼンではなかったのである。
常連客はツケ(掛売り)であったがそのツケ伝票にケーキ代は、上手に振分けられた。
これでも心遣いと云えたのでしょうか? と私は考えさせられた。
その時、私は遠い昔に四国の叔母ちゃんに云われた事を思い出した。 
それは情況こそ違うが、ツケの常連客の宴会が終わりその精算をしていた時でした。
確かすごい量の酒とビールが出ていたので、私は上乗せしても分からないと思い、
叔母ちゃんに多い目に書いといたらと云ってしまった。
 そしたら叔母ちゃんが大変怒ったのを思い出した。
コツコツ真面目に女一人でやってきている信用でお客様は安心して来て頂き、帰られる。
そんな考えで商売したら、絶対にあかんと云われた事が脳裏から蘇った。
これもそれと同じなのか?と私はその時、考えていたのである。
 しかし当時から40年も経った今、小生の気持ちは複雑だった。

      又、追々色んな体験も書かして頂きます。