I LIKE YOU
女神の事はもうれかけて半年がたある日、
平凡な日々に大きな変化が起きた。

それはやはり女性とのいからまた始まる。

私にはホント女の話がきませんよね~

折角おとなしくしていた虫が又騒ぎ出したのでしょうか? 
女癖は外国に来てもやはりっていなかった。

でも此処は外国、ましてや相手は外人さん、
そんな人と私が上手くいける訳ないのに?

まだ分かっていなかったのが今から思えばコッケイだった。

まぁ~この話しを聞いて下さい。
それはとても微妙な事がきっかけで起こった。

いつもの様に開店準備を済ませ、店先のテラスでリラックスしていた時の事だった。

ひとりのビジネスガール(娼婦)が早い時間に店にやって来た。

このビジネスガールは、ママさんの友達である。

名前はヘレン、
年齢2829歳ぐらいだったかなぁ~、小柄で日本人によくていた。

ここにたくさん来るビジネスガールの中でもまだ気持ちが可愛く、
好感は持てる女性ではあった。

そのヘレンが今日は見かけないを連れて来たのに私はびっくりした。

視線はもちろんヘレンではなく、その集中した。



どう見ても玄人娘には見えないから、よけいになった。

ヘレンは来るなりママの横へ行き、やら英語でしをしだした。

ては理解できなかったが、どうやらこのはヘレンのである。

私はママとの会話が気になり、耳をダンボにし聞きった。

ビジネスガールは好きではなかったが、この娘がやけに気になった

目の色こそ違うが、の女にどこかていたのかも知れない。

そして会話の大筋が分った。

この娘はヘレンといの妹でとなりの島、
プララン島に住み2歳の子供が居る未婚の母であった。

格好は、どう見ても20ぐらいにしか見えなかったが
子供が居るのには少し驚いた。

でもこの国では未婚の母などしくはない。

15歳で子供のいる女のはたくさん居た。

来た当初はびっくりしたがもうれた。

日本で女を口説く時彼氏、いるの?』って聞くけど~

こちらでは、『彼氏、いる?』と聞くよりも

『Do You Have a Beby?』と聞くが多い。

南の国は、早熟と聞いたが、この国もやはりそうだった。

でも遊ぶもなく、テレビも国営の1チャンネルしかない。

放映時間だって夜7時から9時と2時間しかやっていない。

子供ができても仕方ない事かも知れない

生活水準も低いが共産圏なので私生児には200ルピー(5000)養育費が貰える。

だから結婚もしなく、私生児をつくるのかも知れない。

この娘もセルシワ人、例外ではなかった。

その上この娘は、生活苦から実姉の処へ手放そうと、このマヘ島に来た。

そして自分もマヘ島で働きたく、いの姉ヘレンに相談しに来たのである。

相談する人がすぎた、そして馬鹿なヘレンのアドバイスはこうだった。

どうやらこの娘もヘレンと同様、体をる様である。

く所も少なく、給料も安い、その上物価は高い。

お金が必要だったら、これも仕方のない選択かも知れない。

それに今日がレストランは日本船のパーティーがある。

だからヘレンは今日この娘をれてきた。

早くに来たのもその為でママに相談して、妹の春を高くろうと考えた様だ。

まだじらいが残る彼女に何とも云いしれないしさを私は感じた。

生活から体を売るなんて今の日本では考えられない事である。

それはとてもな思いで私はえていた。

その上、子供が養子に出されたなど、私には耐えられなかった。

事情や、環境は違っても実姉の所に預けられる宿命が私にどこかでダブってしまった。

だからとても複雑な気持ちで私はこの娘を見ていた。

ヘレンは妹の初舞台に喜んでいるのか、仲間ができた意識なのか、
なぜかしそうに見えた。

今日は、『この娘の初仕事だから高く売るヨ!』
           と自慢げに云っているのにも腹立たしかった。

私はそんな事、してほしくないと思っていたのにいない。

あまりにもオープンな物の考え方に私はこの時初めて外国を痛感したのではないか。

ホンマ一面を見た様な気がしてしまった。

そして私はママさんに、
『僕が買ってもいいの?』
いていたのである。

て女性を買うなど、こんな事は初めてだった。

それは前いた板前がママの許可ずにビジネスガールと付き合い、
部屋にまで入れた事でそれ以後、ママとは上手くいかなかったからだ。

でも今回は、何故ママの反対はなく、に賛成のようで私はびっくりした。

おまけにママらがヘレンとお金の交渉に行くなど、それは以外だった。

これはちょっとママに何か魂胆があったに違いない

しかし私はこのの事で頭がいっぱいで予知などなかった。

ヘレンとの交渉結果、「Yes」を持ってママは帰ってきた。

金額の方は通常の5倍だったが私は納得した。

決して人助けとは思ってはなかったそれより関心があった方が事実である。

本心はパンだけにはなってほしくないと思ったに違いない。

そして部屋にめる事もママから承託を貰え、後は仕事のわるのを心なしか待った。

私の人生において外人とベットを共にする事など初めての体験に動揺せなかった。

前回、船頭とビジネス・ガールを買いに行ったのは、仕事の一環だったし、
私にその意図さえなかったので今回とは違った。

でも私はやっぱり助べぇだね~
女神の事は忘れていなかったが心の整理もついたのでもう後悔はなかった。

このの名前はアン・アニー、姉ヘレンはアニーとんでいた。

年齢19歳だがよりけて見え、どこか心にが見えれしていた。

仕事がわり、ぎこちない英語の会話がコテージの中に響いた。

今まで部屋に帰って喋る事など一度もなかった。

それが1年ぶりに、女性と話しをする夜が私にれた。

1993721日、初めて体験した記念すべき夜だった。

内容については、あえて差しますが、
異国人との夜につかれなかった事だけはっておきます。

この日が、人生にいて貴重な体験の一頁になっのも事実です。

これがアン・アニーとのいであったが、
この時点ではただお金で買った女でしかなかった。

しかししはまだまだで行ったのである。

あくる日の、アニーはプララン島へ帰って行った。

昨夜は遅くまでアニーとり、色々な約束もしていた。

下手な英語で理解してもらえたかは少し疑問符は付くが

『子供にいたいのなら、週末に来ればいい!』

『部屋にもめてやるし、運賃も出してあげるからおいで~』

私はそう伝えたつもりだった。

子供にいたいアニーを気使っての事だろうが
彼女に逢いたかったのが私の本音だったのかも知れません。

これで私の生活も変わり残り1年、きっと楽しく過ごせると考えたのではないか?

私の英語がじたのかじなったのかは分らないが私は心のから来る事を願っていた。

そして1週間後の週末、アニーはやって来た。

私の心がじたのか?、
それとも子供にいたかったのかからないがアニーはてくれた。

私はこの1週間、複雑な気持ちでごした。

心に穴がき、人恋しい心境になって居たのです。

アニーが来てくれた事で私は本当にうれしかったのではないかなぁー。

しかしアニーはやはりだった。

暗い影が処々で見えれし、私はそれがとてもになった。

明るくしてあげようと努力するが、私の英語力では無理だった。

だから物を買ってやるしかできない自分がとてもなかった。

子供と離れたしさにアニーはえられないのか、
そんな事考えたりしたが私にはどうする事もできない。

そんな時、社長とママが私たち二人をホテルのディナーに招待してくれた。

しかしこれはママがんだ作戦のひとつだった。


つづく