その2

この悲劇は姉が9才、彼女が7才の時に
二人に襲い掛かった。

やはりこれは両親の離婚から始まった・・・・・・・・・

仲の良い姉妹は、
父方、母方に無理矢理切り離された。

姉は父に、彼女は母に引取られた。

姉は500キロも離れた遠い新潟に父親と行ってしまった。

そして
妹、
(つまり私の嫁さん)は、水商売の母と奈良に残った。

その頃の彼女らには離婚の原因など分からないが、
姉と離された悲しさや怒りだけは覚えていたと語った。

水商売の母と暮らす妹は毎晩誰も居ない部屋にひとり残された。
7才の子には辛い日々でしかなかったのは想像がつく。
母親の帰りをいつも淋しく待っていたのだ。

いつの日か、彼女は姉からの便りを知った。

姉は父親の新しいママ母に育てられ、
新潟で楽しい生活を送って居る事を聞かされた。

彼女は姉と一緒に暮らしたかった。
父親の処に行きたくて、行きたくて仕方ない毎日だったと語る。

 そんな思いで暮らす彼女にある日、突然朗報が舞込んだ。

それは、母が彼女の親権を父親に譲った事にあった。

 何故? 譲ったのかは分からないが、
父が急にやってきて彼女を姉のいる新潟へ連れて行った。

その時は本当にうれしかったと、
彼女は当時を振り返り、テレビに喋った。

 姉妹は再会する事ができ、また一緒に暮らせる事ができたのだ。

彼女の思いが天に通じた時だったかも知れない。

しかし非情な事は、ホントに起こるものです。 

小さな二人にその後、こんな残酷な体験が待っていたのである。

とてつもない出来事にこれから二人は遭遇しなければならなかった。

一緒になれた姉妹の喜びは、子供心にとってはとてもうれしい事だった。

ママ母は姉から優しい人と聞かされていた彼女は、
独りぼっちの孤独感からも解放されたと思い、本当に喜んだ。

初対面の夜には、焼き肉店へ連れて行って貰え、
とてもうれしかった体験をした。

その時は、ここへ来て良かったと思ったに違いない。

 しかし楽しかったのもホンの束の間、最初だけだった。
皆で一緒に行った焼肉もそれが最初で最後だったと云う。

その後、ママ母は急に態度を変え始めた。

何故変わったのかは、子供心では理解できない。

それからと云うもの、日々ママ母のいじめが始まったと
彼女は証言した。

父が居ない時など、いじめは頻繁に起こなわれ、
日が増すごとにだんだんエスカレートして行った。


逆らった時など、食事も食べさせてもらえず、
部屋から出してもらえない軟禁状態が続いた。

学校に行かせてもらえない日もあったと云う。

二人の体には生傷が絶えず、時には
たばこの火まで体に押し付けられた。

あまりの辛さに二人は何度か家出を試みた。

でも逃げる所もなく、すぐ捕まってしまい、なお酷い羞恥を受けた。

その後部屋には鍵をかけられ、学校から帰っても一歩も外出できず、
パンしか与えもらえず、監禁された。

正に鬼母であった!

幼い二人にとってこれはもう体罰でしかない様に思えた。

父親は何をしていたんだ!
本当に気づかなかったのか、私はとても疑問に思えた。

きっと、見て見ぬ振りをしていたのでしょう

そして彼女もその時、父親の心の中を見たのかも知れない。

父親を信頼できなくなっていたのかも~ネ?

 その時気丈な妹は姉を連れ、
遠い奈良の母に逢いに行く決意をした。

でも今回は、もう捕まるわけには行かない。
幼い彼女もその事は重々わかっていた様だ。

行き先も分からないまま姉妹は、来た電車に必死に飛び込んだ。

ママ母のいじめに耐え兼ねての最後の挑戦の様に思えた。

当時、姉は小6妹が小4、あまりにも幼すぎる逃亡者だった。


小さな逃亡者の旅は、ここから始まった。

地理も分からず、お金も持たず、長い旅のスタートである。

無事奈良に着けるかは誰も知る由もなかった。

それは無茶としか云えない。

当然、無銭乗車である。

捕まれば万事休す、又ママ母の所へ逆戻りしてしまう。

だから二人は必死で逃げた。

彼女は当時の心境を隠さず、デレクターに伝えた。

奈良に着くまで駅の構内から、一歩も出る事はなかったそうだ。

見知らぬ人に行き先を尋ねては、置いてあった荷物から
何度も置き引きを繰り返していた事もちゃんと話した。

飢えを凌ぐ、手段だったと彼女は云った。

便所の中で寝ては電車を乗り継ぎ、来たのである。

出発から3日以上が経ち、二人はやっと奈良に到着した。

しかし着いた時にはもう薄暗くなりかけていた。

無我夢中で逃げては来たものの、
母はもう以前の場所には住んでいなかった。

母が居ない空しさと空腹で姉妹は途方に暮れた。

母親を慕い、何度も間違え、電車を乗り継いで来たのに、
母の居場所はもう二人に分かるすべはなかった。

二人は精魂尽き果て、絶望しかなかった。

二人は車に飛び込み死のうと考えた。

妹が姉の手を引き、走る車の前に飛び出した!

しかし間一髪、車は姉妹の前で停止した。

姉妹は優しいおじさんに助けられた。

おじさんは怒らず、この二人の話しを聞いてやり、
ラーメンまでご馳走したそうだ。

その時のラーメン味は、今でも覚えていると彼女は云った。

きっと人の温もりを彼女は感じたに違いない。

良い人にめぐり会え、空しかった心は癒され、
そして空腹までも満たされた時である。

おじさんは二人を警察まで連れて行ってくれた。

  そこでやっとお母さんの居場所を知る事ができた。!

ママ母から死ぬ思いで逃げ、母を訪ねて三日三晩、
不安と空腹の旅をした姉妹は善意ある人に助けられ、
やっと母に再会できる望みが叶った。

 警察官に連れられて母の家に着いた時には、
もう深夜をまわっていた。

母は帰宅していたが、ここで予想外の事が起こった。

 家の中で警察官と母親との長い会話が始まった。

 姉妹は玄関先で中の様子を伺い、聞耳をたてた。

他の男性の声も混じり、異様な雰囲気を二人は感じた。

家にも入れてもらえず、母親が出て来る様子もなく、
ただ声だけが聞こえた。

この時の二人の胸中は、とても複雑だったに違いない。

お母さんは喜んでくれ、温かく迎えてくれる事だろうと
たぶん二人は期待していたのでしょう~ね

しかし現実は、無残にも二人の心を打ちのめした。

母親が警官に云った最後の言葉が二人には、
あまりにも冷たすぎる言葉に思えた。

『 ここへ急に連れて来られても困ります! 』
と何度も言っていた母、
それを説得しょうとしていた警察官・・・。

そして最後に、
『 今の私には、育てられないから施設の方へお願いします。 』
と念願していたのは母の声でした。

 何ぼ幼い二人でもこの事ぐらいは理解できたはずです。

あの時は、本当に可哀想だったとその警官は云っていた様だ。

母を慕い、助けを求めて無我夢中で姉を引っ張ってきた妹、
やっと会えたというのに顔さえ見せてくれない母。

その上、今は要らないから・・・と引き取りを拒否する言葉に
彼女の心境はどうだったか、想像を絶した事であろう。


私にはとうてい理解ができない。

その時、幼心に受けたその傷はいつまでも彼女の心の奥底にひそみ、
後々まで尾を引く大きな原因の一つになった。

警官に連れられて元来た道をまた奈良署へ向かった二人は、
何も喋らなかったとテレビは報じた。

小さな頭で何を感じとり、考えていたのでしょう~ね。 

先ほど、人の温かさを味わったばかりなのに
今度はあまりにも違う母の仕打ちに
幼な心は、谷底深くへと突き落された。

一晩保護され二人は翌日、桜井にある養護施設へ送られた。

凄い結末を二人の姉妹は体験した。

そしてそれ以後、姉は精神が不安定状態になった
と聞かされた。

原因は定かではないが、その後の姉は変わった
と彼女は云った。

そして今でも姉は神経科へ通い生活保護を受けて生活している。

 妹は、気丈な性格のお陰で姉のようにならずに助かった。

でも明るく振舞って居るものの、時折暗さを感じる。

この暗さは、やっぱりあの時の後遺症なのかも知れない。

 それが今でも母親を許せない、証拠なのかも知れません。

そして今回、母親はテレビの出演を拒んだと云った。

今更むしかえされるのを母は恐れたのかもしれない。

自分の恥を晒すのが嫌がった様である。
母は娘の胸中など今でも分かっていなかった。

デレクターはその母親を説得し、今回の意図と話し合う場を設けた。

今、娘さんにその時の事情を伝えておかなければ、
お互い一生悔いを残すだろうと説明されたのである。

そして今回テレビカメラは、
二人の中に入りそのシーンを収める事ができた。

細かい打ち合わせなどなかった、もちろんヤラセなどない。
そして母と娘が涙で語った現場に私も同席した。

いつも見ている母と娘なのに、
その日の二人は何故か他人様の様に見えた。

彼女の手が小刻みに震え、母親も緊張の色を隠せない。

 そして中々本題へ進んで行けない。
これは彼女の傷の深さが物語っている様にも見えた。

私は口火を切り彼女の重い心の扉を開けた。

そして真実と事実が段々と明らかにされて行くのが
テレビカメラに収まっていく。

結果はどうであれ今まで語れなかった闇の箇所に触れる事が出来た。

 母は二人の養育を放棄した経緯を涙で語り始めた。

言い訳染みた部分もあったが、
施設へ面会に行った事を母は語った。

担当の先生に中途半端な状態での面会は困ると断られ、
逢わせてもらえなかった事も本当だった。

遠い所から二人を眺め、淋しく涙して帰った事実を
母親は涙で娘に訴えた。

彼女も当時の事を思いだし、母と娘は共に号泣した。

傍にいた私でさえ、もらい泣きした。

しかし事情はどうであれ、
母親はその後も二人を引き取らなかったのも事実でした。

これで私は少し彼女を理解した。

あの子煩悩ぶりは、ここにあった事も分かった。

彼女の辛かった生い立ちを私はここで初めて知った。

そして以前、探した父親との電話の内容もこの時に明らかになった。

本当に彼女は、父親にも縁のない子供である事をまた知った。

あの時の電話で父親は一切謝る事は、しなかった。

それ処か、ピンサロのマネージャーである事を誇り、
彼女と同年の娘と結婚し、子供まで居る事を自慢げに話した。

その上、仕事がなければこの店で雇ってやるから
姉も連れて来いや~と馬鹿な事を云った。

だから彼女はその事に触れる事もなく、
父親の話しさえもしなくなったのである。

私も決して偉そうには云えませんが、今回こそは
不幸な子供は作らないと強く心に決めていた。


 そして今回、テレビ局は3日間奈良に滞在し、
相当数のテープを廻したらしい。

出演ギャラなどもらえないのに、
彼女は5万円も貰った様で喜んでいた。

その上、賞品のハワイ旅行まで
頼んでいたのにはびっくりした。

それは母親へのプレゼントに私はしてあげた。

今回は悪役だったからね~?

母親はその後、彼氏とハワイへ行ったらしい。

私の方は毎晩スタッフ全員に寿司のおもてなしをし、
大変な出費となりました。

でも私たちは人様に出来ない
大きな体験をさせてもらい、ほんとうに感謝した。

そしてこのテレビ放映は平成9年1月15日午後7時、
その当時はまだ成人式の祝日に放映された。

 しかしハッピー・エンドにならなかった。 
あんなけ誓った決意もその4年後には
はかなく散ってしまったのです。

どちらの因縁?、
(たぶん~わたしでしょう)

また、また、女が邪魔をしたのである。


つづく